先日の風林火山のドラマ「花倉の乱」の中でも、
ちょっと出てきてましたが、今日は烽火について書きます。
そもそも、烽火っていつ頃からの風習なんでしょう。
火や煙を使って、遠方に知らせる通信手段は実は、
弥生時代に既にあったそうです。
烽火を統制化して、通信手段としていたのは6,7世紀
の飛鳥時代のようです。
烽火台は40里間隔で設置されて、昼は煙、夜は火を
燃やすという様に決まっていたようです。
こんな時代から、もう統制化してたんですね〜。
山国の甲斐では、煙による烽火が一番の通信手段だった
んですね。 確実に早く情報を送るために、山頂からは
もちろん山間も短い距離でリレーするネットワークが、
構築されていたようです。
山梨には、今もその烽火台の古跡が数多く残ってます。
いずれも、周辺地域から甲斐の信玄居館へ向けて伝達
される仕組みになっている。
甲陽軍鑑にはこの烽火ネットワークを武田氏の通信手段
として、「飛脚篝火」という名称で紹介しています。
また、山梨には金山・鐘山・鐘撞堂山などいくつもの
地名が残っていることから、火や煙を仕えない時は音、
鐘や太鼓などが利用されたのではと言われています。
戦国時代にあって、はたまた山国の武田にあっては、
情報は合戦、そして国の死活を制する問題であったの
ですね。
これからの大河ドラマの中でも、合戦のシーンとか
いくつも出てくると思いますので、飛脚烽火が出て
来るか、ちょっと楽しみです。
では、また。





