2007年01月31日

風林火山豆知識E

明日の会話に役立つ 風林火山豆知識

さて、今日は勘助についてです。
最近書籍やインターネット上でも良く目に付くのですが、
「山本勘助は実在したのか?」という文を見かけます。
今更何だろうと思いますが、論議が少しあるようなので、
私なりの見解を今日は書きたいと思います。



実際問題、山本勘助に関しての史実や書暦は少ないのは
確かです。特に前半生に関しては全くと言っていいほど
解っていないようです。
この辺りからも実在していないのではと疑念されている
のかも知れません。


また、江戸時代初期に成立した「甲陽軍艦」にのみ勘助は
登場してくるが、他の確かな資料などからは勘助の名は
出てこない。 こうした事から”架空の人物ではないかと
その存在を否定されしまったようです。
その後あらゆる変遷があり、史学会からは山本勘助は架空
の人物、存在しなかったとされてしまったのです。

ところが、ところがデス



P1000056.jpg


勘助の実在を証明する書状が見つかったのです
それは「市河文書」と言われるもので、武田信玄から市河藤若に
宛てられた書状で、(市河藤若:野沢温泉近く北信濃の豪族)
第三回川中島合戦の直前と思われる内容。(内容は割愛)
この書状は信玄が書いた本物手紙である事が、鑑定の結果
判明したそうです


その中に、「猶、山本勘助口上あるべく候」と一文出てくるのです。

勘助は実在したのです。 が、軍師であったのか、武田の
中で重臣的立場だったのかは定かではありません。
しかし、甲陽軍艦によれば勘助はこのように信玄の命を
受け度々使者となっていたようです。


この当時の使者といえば、並大抵の事では務まらない大役
もしかしたら寝返るかもしれない、相手方で捕まるかもし
れない、はたまた殺されるかもしれません。
何があるか解らない時代です。


そんな折の使者ですから、それ相応の者であり、絶大な信頼
がなければなりません。
その意味からも、勘助は武田信玄から信頼を置かれ、武田
家の中でも重臣的な立場であったろう事は推察できます。



「山本勘助は実在した。」そして、武田家においても
重要な立場の者であった。
これは間違いないのではないでしょうか?


IMG_0379.jpg


私の参考文献にしている書物や甲陽軍艦自体が、
間違っているのであればこれは架空のはなしに
なってしまいます。


ですが・・・すべてを否定していたのでは何も
進みません。 寂しい限りになってしまいます。


勘助が実在して、軍師であったと言うほうが
夢とロマンがあっていいじゃーないですか。
私はそう信じます。


      では、今日はこれで。


[タイトル] 武田信玄と山本勘助のことが面白いほどわかる本
[著者] 中見 利男
[種類] 単行本(ソフトカバー)
[発売日] 2006-10-..





posted by ANN at 23:28| 山梨 ?J| Comment(0) | TrackBack(0) | 風林火山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/32533061

この記事へのトラックバック