2007年02月05日

風林火山 豆知識G

甲陽軍鑑とは!

この時代の史実を知る上でまた、戦国時代の軍学を垣間見る
上でとても大事な史料と思われます。


この甲陽軍鑑に対する評価の論議も有るようですが、それは
ひとつ置いておいて、軍鑑について語りたいと思います。
ご了承を!


甲陽軍鑑は全部で20巻59品からなり、合戦や訴訟の裁決、
武田信玄の事柄に関する事が中核に記録してある。
武田の軍団構成、はたまた、国と家を滅ぼす類の型を
4分類系にして記述している箇所もある。



甲陽軍鑑は江戸時代に入って広く拡まったようです。
甲陽軍鑑は戦国時代を描いた軍書の権威と、捉えられていた
ようです。



P1000080.jpg



軍鑑とは『軍』(いくさ)『鑑』(かがみ)という意味です。
軍鑑は徳川家康、秀忠によって公認された軍学書であった。
家康によって「永遠の兵制の模範とすべき軍学」と定められた
のが、この甲州流軍学であり、「甲陽軍鑑」であったのです。



ではなぜ家康がこれ程までに、この軍鑑を推奨したのか?


甲陽軍鑑の冒頭には甲州法度・信玄法度といわれる言わば
法律の記述が一番はじめに出てきます。
これだけでも普通の書ではないと、思いますね。
つまり武田の理念、信玄と軍団の行動哲学を披瀝する事から
内容が始まるのです。
こうした単なる軍記物ではない意図から、江戸時代
を通じベストセラーとして残されてきたのですね。


でもそれだけでは「永遠の兵制の模範とすべき軍学」と家康
が言うとは思えませんね。


実はこういう見方もあります。 

簡略に言うと、戒めの書とでも言いましょうか?
武田は信玄の時代は全盛期、後に段々と衰退していきました。
このままではいけないと、信玄時代の武略や人生訓などを書き
残すべく書かれた書であったのです。
もちろん当時は信玄の子、勝頼に宛てたと思われます。


武田軍の弱体化を危惧した「高坂弾正昌信」が記したとされて
います。


軍鑑は信玄時代と勝頼時代を比較して、(軽薄さ・嫉妬・虚言
・臆病・嫌みなど)組織における人間模様のマイナス部分をこれ
でもかと、綴っています。
だからといって、昔にもどれという事を言っているのではないの
です。 そこに言えるのは「武士道」であると言っています。


強き時代の武田家本質は何だったのか、根幹は何だったのか、
忘れてはならぬ。 武田家は賢臣を遇し、重厚さを備えよ、
虚言の者を排さなければならない。 でなければ、武田は滅びる
であろうと言うのが、軍鑑の言いたいところであったのです。


家康のこれを軍学のテキストとした、意味がなんとなく判った
ような気がしますね。


しかしこれは、現代の社会の中にも言えることではないですかね。
戒めを戒めと捉えなければ、弱体していくのだと思います。
謙虚な心根を保っていくと言うのは、とても難しい事なのでしょう
ね。 でも、心がける事が大事ですよね。


     では、また。

追記
甲陽軍鑑に関しては色んな論評があると思います。
上記述は私の主観的観点が多いです。 ご了承を。


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posted by ANN at 23:50| 山梨 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 風林火山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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