2007年09月27日

川中島史歴A

決戦の地 川中島。


第4回川中島の戦いにおいて、軍師山本勘助は「啄木鳥戦法」
を提案します。

宿敵同士、ついに雌雄を決する時が来ます。
1561年8月、大軍を率いた謙信が妻女山に布陣。
それを知った武田信玄はすぐに川中島に布陣し、八幡原を横切って
海津城に入ります。

武田信玄は山本勘助の「啄木鳥戦法」により軍を二手に分けます。
一方は海津城から妻女山へ、もう一方は八幡原へと向かうのです。


史歴跡

@山本勘助の墓

武田信玄の天下取りをを夢見て、川中島に散った天才軍師 
山本勘助。 法名の山本道鬼居士と記された墓は千曲川の堤防の下
、古戦場を見渡せる場所に立っています。



A勘助宮跡地
「啄木鳥の戦法」失敗の責任を感じ、敵陣に身を投じた勘助の
最後は壮絶であったと、伝えられています。
ここに建っていた真木神社を後に勘助宮と呼ぶようになったとい
われています。
現在は、長野オリンピックスタジアムがある、南長野運動公園
の南西に石碑が建っているとの事です。


B八幡原史跡公園 「川中島古戦場跡」

永禄4年の川中島合戦の舞台となった八幡原。
今は緑豊かな公園として整備されています。敷地内には激戦の様子
を物語る史跡が残っています。
松林の中には八幡社がたたずみ、境内には名場面として語り継がれ
ている信玄・謙信一騎打ちの像や三太刀七太刀の跡、そして、両軍
の戦死者を弔った首塚があります。
桜の名所としても知られ、季節には花見でにぎわう場所となってい
ます。



戦国の世の勇猛と悲哀の八幡原


      では、また。


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posted by ANN at 23:37| 山梨 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 風林火山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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