第4回川中島の戦いにおいて、軍師山本勘助は「啄木鳥戦法」
を提案します。
宿敵同士、ついに雌雄を決する時が来ます。
1561年8月、大軍を率いた謙信が妻女山に布陣。
それを知った武田信玄はすぐに川中島に布陣し、八幡原を横切って
海津城に入ります。
武田信玄は山本勘助の「啄木鳥戦法」により軍を二手に分けます。
一方は海津城から妻女山へ、もう一方は八幡原へと向かうのです。
史歴跡
@山本勘助の墓
武田信玄の天下取りをを夢見て、川中島に散った天才軍師
山本勘助。 法名の山本道鬼居士と記された墓は千曲川の堤防の下
、古戦場を見渡せる場所に立っています。
A勘助宮跡地
「啄木鳥の戦法」失敗の責任を感じ、敵陣に身を投じた勘助の
最後は壮絶であったと、伝えられています。
ここに建っていた真木神社を後に勘助宮と呼ぶようになったとい
われています。
現在は、長野オリンピックスタジアムがある、南長野運動公園
の南西に石碑が建っているとの事です。
B八幡原史跡公園 「川中島古戦場跡」
永禄4年の川中島合戦の舞台となった八幡原。
今は緑豊かな公園として整備されています。敷地内には激戦の様子
を物語る史跡が残っています。
松林の中には八幡社がたたずみ、境内には名場面として語り継がれ
ている信玄・謙信一騎打ちの像や三太刀七太刀の跡、そして、両軍
の戦死者を弔った首塚があります。
桜の名所としても知られ、季節には花見でにぎわう場所となってい
ます。
戦国の世の勇猛と悲哀の八幡原
では、また。
<風林火山アラカルトは HOMEへ>



