当初に投げかけていた書物等が沢山出回ったが、勘助が
実在した証拠とされる市川文書なる古文書があります。
先日の風林火山の放映の時に、あざとい方は解ったと思いま
すが、その市川文書の事を何気なく軍議の場で言ってましたね。
解りました〜〜〜〜?
今回の大河ドラマ「風林火山」のいい所は、このような史実
を疎かにせず、どの様な形でもいいですから、必ず表現されて
いるという事ではないでしょうか?
(市川文書に関しては、豆知識の方でも書いてますので詳しく
はそちらを呼んで下さい。ここではふれません。)
もう一つ例を挙げると、長尾景虎の朝廷から許されたとされて
いる、毛氈・白傘袋。
これも史実どおりの代物です。
1550年、(天文19年)謙信は朝廷より毛氈と白傘袋を
使用することを許されています。
それは、越後守護国主と認める証でったのです。
毛氈鞍覆いとはいったいどんな物なのか?
鞍覆いは馬の鞍を湿気や乾燥から守るための覆いのこと。
傘袋は晴天の時、折笠を入れておく袋の事です。
どちらも身分によって、材質や色などが決められていたよう
です。
ちなみに、将軍は鞍覆いとして輸入の緋毛氈を使用していた
ようです。
このように毛氈の使用を許された謙信は、朝廷からは絶大な
信頼があったと推測されますね。
では、また。



