2007年11月01日

風林火山史実の演出

山本勘助は本当に存在したのか? という疑問を放映
当初に投げかけていた書物等が沢山出回ったが、勘助が
実在した証拠とされる市川文書なる古文書があります。

21ERPG3VJ6L._SL125_



先日の風林火山の放映の時に、あざとい方は解ったと思いま
すが、その市川文書の事を何気なく軍議の場で言ってましたね。

解りました〜〜〜〜?

今回の大河ドラマ「風林火山」のいい所は、このような史実
を疎かにせず、どの様な形でもいいですから、必ず表現されて
いるという事ではないでしょうか?
市川文書に関しては、豆知識の方でも書いてますので詳しく
はそちらを呼んで下さい。ここではふれません
。)



もう一つ例を挙げると、長尾景虎の朝廷から許されたとされて
いる、毛氈・白傘袋
これも史実どおりの代物です。


011.jpg

1550年、(天文19年)謙信は朝廷より毛氈と白傘袋を
使用することを許されています。

それは、越後守護国主と認める証でったのです。

毛氈鞍覆いとはいったいどんな物なのか?
鞍覆いは馬の鞍を湿気や乾燥から守るための覆いのこと。
傘袋は晴天の時、折笠を入れておく袋の事です。


どちらも身分によって、材質や色などが決められていたよう
です。
ちなみに、将軍は鞍覆いとして輸入の緋毛氈を使用していた
ようです。


このように毛氈の使用を許された謙信は、朝廷からは絶大な
信頼があったと推測されますね。


では、また。




posted by ANN at 00:01| 山梨 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 風林火山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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